慣れた新しい街
先月上旬に引越作業を終え、その後の各種変更手続きもほぼ完了した。
あとは銀行くらい。
4月に直近の地域へ引っ越したが、6月にはもう次の引っ越し場所を探し始め、8月に今の場所に引っ越した。
今の場所は、3月まで住んでいた街の近く。
またあの街に戻れるんだと、一連の作業や手続きを終える日を指折り数えていた。
建物だけではなく、住む街にも相性があるのだろう。
4月から8月まで住んでいた場所に居ると、だんだんと辛くなり、枯れていくように感じられた。
新しい場所は快適で、引っ越して良かった。
部屋の造りや間取りがとても良いし、各所へのアクセスも良い。
ここに来るためにそれまでの苦難があったんだと考えるようにしている。
身だしなみにも気を付けられるようになり、これも嬉しい。
声の手術をしてもう7カ月経つ。ようやく発声の仕方がわかってきた。周波数は200㎐を下回ることがないため気分的にとても楽だ。
私は身体を変え、名を変え、性別を変え、声を変えた。
この間多くのものを失い得た。
けれど仕事は変わらず、寄り添ってくれる唯一の身内のようだった。
専門的な職種で業務を遂行し、トランスし、料理とファッションに気を配ってきた。
業務上では複数の論文を執筆したが、個人として関係する学会へ論文を投稿したいという気持ちを十数年来持ち続け、未だ一つもできていない。
仕事人としては十分貢献したから、これはもう切り離し、心休まる世界に触れていこう。
引っ越し 声 仕事
3月末に引っ越し三か月が過ぎた。
新しい環境に慣れるまで時間がかかる。
半月前に転居先を下見に行った。
今の場所に馴染めないから引っ越したくて。
お金がかかる、しょうがない、通勤が遠くなり一日をこなす自信が持てない。
職場最寄り駅のスーパーで買い物して、電車に乗ってホームタウンで下車し、そこから20分近く歩く。
疲れるし、なんだか寂しい、今の環境にいることを続けない方が良いように思う。
声はまだ安定しない。
手術中危惧された、声の高さを高くされ過ぎたのではという不安のとおりとなった。
アニメ声にしないため低い声を出すよう発生し、そのせいでハスキーな声となる。
いずれコントロールできるようになるだろう。
低い声が出ない、二度と出せない安心感は大きい。
悲しみで泣く自分の声に絶望することはもうない。
電話で性別判定される場面での不安もない。
仕事が忙しい。
出勤し、自分の机、自分の椅子に向かいいつも感謝する。
なんてありがたい事だろう、自分の椅子がある、自分の場所がある。
二日勤務すると、もう十日も働き続けた心身の状態になる。
仕事量が増え、体力、精神力が衰えたこと、居住地などの要因が重なっての事なんだろうか。
見たいものは見た。
欲しいものは全てある。
まだ時間があり明日を迎えられる。
心の光は輝き、陰ることはない。
移動
喉の調子は横ばい。
なんとか会話できるが、声量が出ずかすれる。
間もなく引っ越しでこの連休は作業の大詰めだった。
ものを減らしてきたけれど、いざ引っ越すとなると多い。
少々逸脱した考えでいかないとこれ以上減らすのは無理だと思う。
女として暮らすことに余裕ができたのか、いろいろと気持ちが動く。
時間というのは不思議だ、
日帰り
術後の定期検査のため京都へ日帰りした。
声帯の下1/3が赤黒くなっていて、内出血しているらしい。
自然治癒にまかせるよりどうしようもない。
20分程度の診察のため、京都駅からさらに高速バスで移動するけれど、行ってよかった。状況を把握できず日々過ごすのは不安が増大する。一体どうなってしまうのだろうかと。
必要な高さは出ていた。あとは半年から一年かけて体が慣れるまで待つ。
帰りにホーム脇のお店でトーストと小倉餡とコーヒーのセットを頼んだ。
コーヒーはサイフォンで淹れる大会で2位になった人がスタッフにいるそうで、大層おいしかった。次の検査の帰りにまた寄ろう。
日本で京都だけれど、なんだか外国に居るようだった。目的は手術関係だけで、ほとんどの時間を乗り物での移動に費やしたからか。
そこに行かなければ受けられないから行く、それがタイだったり京都だったり。もっと遠くでもいつか行っただろう。部屋にいるのが好きで出不精な自分にはかえって良いのかも。
今年は体のケアを充実させる。もうすぐ1/4が終わるけれど。
Body & Voice
室内でやや小さい声で話せるようになっきた。
一分以内かな。それ以上続くとだんだん喉が詰まりキーキー声になる。
外で初対面の人と話すとき、緊張が減った。声についての緊張は完全になくなった。
落ち着くまで半年から一年くらいかかるらしいから、一カ月でこの状態なら問題ないかも。
話すのが楽しいと思えるようになっている。
高さもそうだけど、下に落ちない、低い声が出なくなったのが嬉しく、安心できる。
もうすぐタイでの手術から丸五年になる。
そんなになるのか。
今もダイレーションを続けている。
体と声、本当に嬉しい。
治療開始以降、薬の副作用で4年くらいまともに動けなかった。
今は体の変化も落ち着いた。
よくここまで来れたなぁ。
今月末引っ越す。
引っ越し後の事をいろいろと計画している。
エスプレッソを復活したいとか。
フィルムによる写真撮影を再開したいとか。
チェコ=スロヴァキア時代の写真家、スデクは外出での撮影が困難になると、アトリエ内で静物や窓景色を撮影した。
意識を整えていけばどんなものにでも題材は見つかる。
スデク poet of Prague