日常と意識
自分の意識と、日常の行動との間には、いつもゆるい膜がかかっている。
この膜は大切で、なくすと、社会的存在とは言えなくなる。
規範を外れるのは簡単でほんの一歩で済む。
だけどその一歩は容易ではなく、その人を取り巻くささやかな世界を少なからず変えてしまう。
八年前「治療」を開始したときが最初の一歩だった。
その歩みの先に手術があり性別変更がある。
専門職だったことが状況を支えてくれたのだろう。
情緒のコントロールができなかった。
猛烈な喪失感に染められた。
けれど絶対に手放したくなかった。
私の涙。
私の屈辱を。
降りたホームから車内に置き忘れた鞄が走り去っていくのを見送る。
その駅は私の日常の世界、ガラス越しに遠のく鞄は私の意識。
本当の自分なんて存在しないと信じている。
それは関係性の中でしか存在しないもの、ドーナツの輪のように。
だけど手術を終えワンピースで風を感じる今は幸せだ。
日常を意識の性で生きられるのはこんなにも幸福なんだ。