声の彩り
数日前に金沢に日帰りした、突然の用で、文字通りの急用で。
新幹線が開通しているので考えていたよりずっと行きやすかった。
予定を果たし帰宅し、勤務を続けている。
体がある場所が自分の居る場所。
車中で川端康成の記録を読んだ。その関連で三島由紀夫の記述があった。
三島による文学作品評は、批評眼と批評の文章力いずれもが突出しており圧巻だった。
興味を持ち三島についての記録を読み、三島事件と呼ばれる一連の出来事を知った。およそについては知っているつもりでいたが、整理された記録を読みとても驚いた。
戦後このような事件が起こっていたのか。
タルコフスキーの映画『ノスタルジア』では、広場の彫刻の上で演説する男を描いている。
ヴェンダースの映画『パリ、テキサス』では、高速道路の高架道上で演説する男を描いている。
いずれも声をあげ、悲痛な思いが声と共に震えている。
危惧、焦り、救済への呼びかけ・・・。
三島の演説する姿が混ざる。
いずれの監督も三島からヒントを得たのではないか。
事件に関するコメントはどれも白々しく俗っぽく思えた。
経緯如何に関わらず自己宣伝することをやめられない者の多さにあきれ、それこそが彼を死に追い向けた汚れのように思えた。
声
仕事の追い込みがあり飛ぶように毎日が過ぎ、年を越して今月に入り、ようやく一息つけるようになった。
前回投稿は9月で今はもう2月。
よく働いた。
この間、三度の講演会があり、今月上旬の三度目を終えた二日後、喉の手術をした。
まだほとんど会話ができない。
十日近く筆談で生活した。
術式から、声量や声域は大きく減衰するようだ。
体に手を加えるのはこれで最後にしたい。
近況
年内は仕事が忙しい。
先月は毎日のように執筆を続けた。
何万文字を書いたろう。
今月は移動や撮影や、その他作業が予定されている。
ここ数年の安息を思えば今年一杯の状況は受け入れるべきだろう。
この場所は懐かしい。
タイから帰国してすぐ開設し、現地の写真や記録が残っている。
大きな転換だったと数年を経て思う。
当時はただ嬉しいばかりだった。
日に何度も良かったと、今もかみしめるようにそう思う。
心地よい空間に身を置き、おいしいお茶の時間を過ごす。
かつて経験した各地の空が、光が、時間がこだまする。
まるで時の旅人のようだ。
9月がまたやってきた。
夏
今年は特に仕事が忙しく、まとまった休みが取れない。
お昼に歯医者へ。
今の場所に来て2年半ほどが過ぎ、あと半年以内に引っ越さなければならない。
その前も2年半ほどで、今の場所に移った。
身軽でいることをよく考えるようになった、何か買い物するときも一人で運べるか、とか。
音楽を流さず眠れるようになり、数年が過ぎた。
時計の秒針の音と同じか小さいくらいになるよう音量を合わせ、幾年も過ごした。
ネットで見る故郷は懐かしい、けれどもう戻れないのは昔からわかっている。
あれは8歳の頃だった、眠りに入る消灯の後、旅して暮らしていくことをよく考えた。
お城での生活とそれは、好んで夢想したことだった。
旅先のホテルで目覚め、病院のベッドで目覚め、部屋で目覚める。
どこにいても旅の途中なんだと、今は、はっきりわかる。
8月の光がもうすぐ終わる。