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心にそよぐ風

日々の雑感。おしゃれで魅力的な人になれるよう心がけたい。

移動

喉の調子は横ばい。

なんとか会話できるが、声量が出ずかすれる。

間もなく引っ越しでこの連休は作業の大詰めだった。

ものを減らしてきたけれど、いざ引っ越すとなると多い。

少々逸脱した考えでいかないとこれ以上減らすのは無理だと思う。

女として暮らすことに余裕ができたのか、いろいろと気持ちが動く。

時間というのは不思議だ、

日帰り

術後の定期検査のため京都へ日帰りした。

声帯の下1/3が赤黒くなっていて、内出血しているらしい。

自然治癒にまかせるよりどうしようもない。

20分程度の診察のため、京都駅からさらに高速バスで移動するけれど、行ってよかった。状況を把握できず日々過ごすのは不安が増大する。一体どうなってしまうのだろうかと。

必要な高さは出ていた。あとは半年から一年かけて体が慣れるまで待つ。

 

帰りにホーム脇のお店でトーストと小倉餡とコーヒーのセットを頼んだ。

コーヒーはサイフォンで淹れる大会で2位になった人がスタッフにいるそうで、大層おいしかった。次の検査の帰りにまた寄ろう。

 

日本で京都だけれど、なんだか外国に居るようだった。目的は手術関係だけで、ほとんどの時間を乗り物での移動に費やしたからか。

そこに行かなければ受けられないから行く、それがタイだったり京都だったり。もっと遠くでもいつか行っただろう。部屋にいるのが好きで出不精な自分にはかえって良いのかも。

 

今年は体のケアを充実させる。もうすぐ1/4が終わるけれど。

 

Body & Voice

室内でやや小さい声で話せるようになっきた。

一分以内かな。それ以上続くとだんだん喉が詰まりキーキー声になる。

外で初対面の人と話すとき、緊張が減った。声についての緊張は完全になくなった。

落ち着くまで半年から一年くらいかかるらしいから、一カ月でこの状態なら問題ないかも。

話すのが楽しいと思えるようになっている。

高さもそうだけど、下に落ちない、低い声が出なくなったのが嬉しく、安心できる。

 

もうすぐタイでの手術から丸五年になる。

そんなになるのか。

今もダイレーションを続けている。

体と声、本当に嬉しい。

 

治療開始以降、薬の副作用で4年くらいまともに動けなかった。

今は体の変化も落ち着いた。

よくここまで来れたなぁ。

 

今月末引っ越す。

引っ越し後の事をいろいろと計画している。

エスプレッソを復活したいとか。

フィルムによる写真撮影を再開したいとか。

 

チェコ=スロヴァキア時代の写真家、スデクは外出での撮影が困難になると、アトリエ内で静物や窓景色を撮影した。

意識を整えていけばどんなものにでも題材は見つかる。

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スデク poet of Prague

まだまだ普通に話せない。首を絞められた状態がずっと続いている感じで、かなり慣れてきたけれど。

食事中の会話が最も難しい。喉の筋肉の関係なのか、絞り出すようにして、ようやくかすれた声が漏れる。

今月定期検査で京都へ行く。手術費用は安く済んだけれど交通費が大変。混雑が苦手だから日帰りで行って帰ろう。

 

発声が安定しているときは手術してよかったと思う。以前は低い側に声が抜けないか不安が消えなかった。いつも緊張していた。

 

手術前、声の周波数を測定したところ、十分な高さと安定感があった。

執刀医は ”(手術する)必要ないじゃないか” と言った。

その数カ月前の事前の検査では、他の医師から同様な指摘を受けた。

随分と努力して身につけた声だった。

けれど気を抜くと底に抜ける(低音が出る)のが怖かった。 

 

目一杯低い声を出そうとしても、今はもう機能的に出ない。やるべき事をやり終えた夜、開放的な気持ちでゆっくり眠るような気分で声を出せる。

かつて泣き続けた夜、声が追い打ちをかけた。決して消せない烙印のようだった。

 そんなこんなで私は自分の声を捨てた。

  

顔の整形のことばかり考えていた時期もあった。

今は顔の整形はしないで終えようと考えている。

魅力的な着こなしに専念しよう。

声の彩り

数日前に金沢に日帰りした、突然の用で、文字通りの急用で。

新幹線が開通しているので考えていたよりずっと行きやすかった。

予定を果たし帰宅し、勤務を続けている。

体がある場所が自分の居る場所。

 

車中で川端康成の記録を読んだ。その関連で三島由紀夫の記述があった。

三島による文学作品評は、批評眼と批評の文章力いずれもが突出しており圧巻だった。

 

興味を持ち三島についての記録を読み、三島事件と呼ばれる一連の出来事を知った。およそについては知っているつもりでいたが、整理された記録を読みとても驚いた。

戦後このような事件が起こっていたのか。

 

タルコフスキーの映画『ノスタルジア』では、広場の彫刻の上で演説する男を描いている。

ヴェンダースの映画『パリ、テキサス』では、高速道路の高架道上で演説する男を描いている。

いずれも声をあげ、悲痛な思いが声と共に震えている。

危惧、焦り、救済への呼びかけ・・・。

三島の演説する姿が混ざる。

いずれの監督も三島からヒントを得たのではないか。

 

事件に関するコメントはどれも白々しく俗っぽく思えた。

経緯如何に関わらず自己宣伝することをやめられない者の多さにあきれ、それこそが彼を死に追い向けた汚れのように思えた。