心にそよぐ風

日々の雑感。おしゃれで魅力的な人になれるよう心がけたい。

2018年

新年あけましておめでとうございます。

平成も30年、感慨深いです。

 

2017年

もうすぐ新年を向かえる。

今年は、現職での業務上事項と、個人的には度重なる引っ越し、喉の手術、昨年の器官切除手術の術後経過などが重なって、最も忙しく困難な年となった。

睡眠障害に陥りもしたが、よく乗り越えた。

 

ある年、著名な占師に見てもらい恐ろしいほど的中した。これまでの出来事を示すに留まらず、年明けに控えた手術まで予言した。その際、ある周期で運命と呼べる苦難の年が訪れることを知らされた。今まで最もつらい経験をした年を書き出してみたら、ほぼ示された周期で起こっていた。

2017年はそれに該当する年だった。知らないでいたかったし知ってどうなるものでもない。正確には2018年の節分まで、残りあと一月と少し。

おやっ、と思うことが不定期に起こった。仕事でも、プライベートでも。

今はやむを得ないんだと。

 

不満はない、起きて動けることを感謝する、それが最善だし他にどんな感情もない。

この世の生は、その役目が終わったら一瞬にして取り上げられる。

トルストイの短編にあった。

夕方死ぬ運命の男が丈夫な靴を注文する様子を見て天使は驚く。

人間には死を知る能力がないことを天使は理解すると。

 

できるときはできるし、できないときはできない。

持ち物を整理し契約内容を把握して、よく眠り料理を楽しんで清潔を心がける。

それが最善だろう。

 

もうつらい思いはしたくない、どうかこのまま行けますように、過分なことは望みませんからと毎日のように願う。

間もなく2017年が終わる。

ああ、良かった。

掌から零れる水

体が衰えている。

投薬のせい、年齢のせい。

わかってはいたこと。

生まれつき丈夫ではなく、日中のフルタイム勤務は自分には無理なことだと中学生の頃には予感があった。

今日までよく続けてきた。

段々と外出が減り休日はほとんど横になって過ごすようになった。

横になって目を閉じても音楽は聞き取れる。音楽はいいなぁと思う。

見たいものは見た、聴きたいものは聴いた、行きたい場所にも行った。

再生される響きに気持ちを向けながら、随分と恵まれていたなと思う。

業務上の技術を向上することに注力してきた。

PCの操作、専門的技能、時間短縮、品質向上。

もう続けなくていい、周囲には邪魔な存在になってしまう、仇となる。

掌から零れる水のように授かった時が過ぎていく。

 

 

花のように頬を上げて

近頃は来世のことをよく考える、あの世のこと。
生きている限り経験できないから、生きている限り絶対裏切られない、好きなように考えていられる。


来世は自分に近い精神の存在と社会を形成するという。
このような尊い人と同じ空間に居られるという驚き、その逆を経験するのは現世にいるからなんだろう。

 

自分の内にある欲は欲と呼ばれるものなのか、あるいは不安からくる恐れなのか、生涯わからないままだろう。

 

冬の光は美しくその様子を眺めるのが好きだ。
色彩も形態も光があり成立する。
美しいものを美しいと感じるあらかじめ備わったこの感受性は不思議で尊いものだと思う。

 

一昨年の冬救急車で運ばれ入院して検査を受けた。
レントゲン画像の骨格を見たとき、自分は量産品なんだと理解した。
天然素材の人型量産品、土台となる骨では見分けがつかない。

 

自分を損なうことを避けたい。
他人を損なうことを避けたい。
そう居られることを願う。

 

光は絶えずそこにあるものの様子を変えていく。
許されるなら花のよう頬を上げ、光を受けて微笑んでいたい。

心の中の太陽 授かった良心

以前《心の中の太陽》という題名の絵画を描いた。制作途中に作品名を決めた。自分の心の中には太陽があって、輝いているという考えが浮かんで決めた。

当時はもっとも苦しんでいた時期だった。自分の歩みを振り返り、危機的な状態になると絵画制作や写真撮影することを経験として知っている。

制作しているなら、先がないまでに追い詰められているということだと。

 

お釈迦様の教えは、悪は実態のない現れであり人の心には良心が存在する、というものだと知った。恐るべき悟りだと思った。

 

自分が自覚する自己像と社会参加している中で、周囲が認識していると推察する自己像とのズレが、なんだかささいな事のように思えてきた。何もかもはかない。