心にそよぐ風

おしゃれで魅力的な人になります!

体調

新年度になりまだ2ヶ月も経っていないのか。いつも最初の3ヶ月目くらいまでが一番長く感じる。環境や体制の変化に強く緊張しているからだろうか。4月から私の下で働く人が倍以上にも増えて身なりはきちっとしてなきゃとまず靴磨きを今まで以上にしっかりするようにしている。足元が整うとコーディネートも安定したものになる気がする。

なるべく一人一人と会話するようにしている。できる事はしたいから。相手に意識されないことにエネルギーが必要ですぐに疲れてしまう。休日にはよくあのような毎日を過ごしたなと振り返る。お弁当も作る、朝ごはんも晩御飯も作る。作るには買い物が必要で毎日食材を買う。

椅子の効果を少し感じられるようになっている。業務上の役割が変わり残業出来なくなったことは身体に良い効果をもたらしている。心身共に人並み、標準的ということが自分には遠くの目印、高過ぎるバーのよう。疲労の氷塊が身体の中に幾つもできる。休日はそれが溶けるまで安静にしている。なんとか溶けた頃に仕事が始まりまた塊が大きくなっていく。それを繰り返しながら今日まできた。これくらいで済んでいるのだから、ありがたいことだと思う。

流れ

居住地の話になり放浪のようなこれまでを簡単に話した。好意的に受け答えしてくれても、言葉の元になった経験が変わることはない。好きで移転を繰り返したわけではないのだから。世間話に何を真剣になるのか、こちらがどうかしているのだろうから。

身の回りのこと身だしなみのことに気をつけようという心持ちを続けられるようになってきて、足元の整備なんかを集中的にしている。管理職だからという責任感が動機になっているのだろう。スーツにもよくブラシをかけるようになった。名刺入れも奮発した、イギリスのサイトで買って日本まで届けられたものを使っている。人と会うことがずっと増えその度に買ってよかったと安堵感のようなものとともに感触と彩色に見入る。

ショルダーバッグを更新した。腕時計の革ベルト付け替えてもらった。品質を保つにはものを少なくすることだと感じて、少し心配になる程いろいろ捨てている。捨てると必要なら買い直してその際に以前よりマシなものを選択するようになる、失敗することもある。今はこんなふうにしないと気持ちを整理できないし落ち着いて仕事することも難しいから今はこの通りなんだろう。

部屋で飲むミルクティーは安らげる。心安らかにいたい。ものを減らして必要なものを更新している。

 

近況

仕事が忙しく周囲からも体調を危ぶまれている。カレンダーの休みは無いようなもの。先の検査に向けて食生活を見直して今も続け効果を実感している。これくらいかという量の6割で太ってしまうから、いろいろを見直している。仕事の内容がかなり変わり落ち着くまでは食事制限はやや緩める。

雨の多い4月が終わり、今まだ降るが先月ほどではない。緩やかに移ろうことはもう望めないのだろうか。カフェでの書写を続けている、朝活書写というお題ツイートから、これはと思うものを月に数本程度のペースで続けている。万年筆のインクで手を汚すことが多い。

仕事と、食事を含めた家事と、カフェでの時間。今の私の姿なんだろう。

5月

環境が変わり5月。仕事は一層忙しくなる。身体もメンタルもきついが、こうした状況ではカウンセリングへとはならない。

仕事は従来以上に重責となりまず足元からとパンプスを何足か購入し、手持ちのものを修理に出した。靴磨きの頻度をずっと増やした。足元が落ち着いたら次はバッグを更新する。既に2個捨てて2個購入した。バッグがひと段落したらスーツとブラウスを更新する。

腕時計を追加する、これは私には結構な買い物になるだろう。今は浮き身で、旅行に出る時間と体力もなく仕事に全振りとなる。

カウンセリング

仕事上のことが自分で考えているより重く、職場のメンタルチェックに引っかかり面談を受け、専門医からの診断でいよいよかと、カウンセリングを予約した。

これまでの経験に比べれば何のことはないと思い実際そうなんだけれど苦しいものは苦しく意識から追い払えない。もうすぐ10ヶ月になる。経緯をまとめたら5000文字を超えた。それを2部用意して、人間関係の相関表を添付してカウンセリングを受けた。会議で資料を配り説明するのとほとんど同じ流れで、一連の経緯を話した。説明の早い段階で相手がおかしな態度でおかしな行動をしていることをコメントいただき安心して説明を続けた。

以前から感じていたことである、現在の職場環境が難しいものであることが確認できた、私の思い過ごしではなかった。相手を切っていいのかと問い、切っていいと返ってきた。そうする。私は誰かとの交流では決まって強い侮辱を受けて関係を消滅させることを繰り返してきたから、自分の対人関係のありかたに深い問題があると考えるようになり、それは間違っていないように思う。それが今回のケースを厄介なものにした、原因は自分にあるという考えを否定できずに毎夜苦しんできた。それが、そうではないとカウンセラーから意見があり、やはり自分の受けた態度は失礼極まりないものであったのかと。このように書いて読み返すと間抜けなものだと思う。説明の途中に今回の原因となった者たちへ何度か呆れていたようで、そのことからこれは私への労りによるコメントではなく、社会通年上おかしな事なんだと確信をもてるようになった。

 切っていいのだ。

 後継者は他のものから選ぶ。

 専門分野での技術指導は他のものに施す。

 現職のキャリアを活かしながら転職のために活動を始める。

 原因となった者は戻さなくて良い。

自分の環境向上に努める、仕打ちへの怒りは安らぎの役には立たず、自分を損ない溶かしていく。私が負うべき責任の範囲は考えていたほど広くない、最初からわかっている、程々が良いのだ自分にも周囲にも。あらゆるものが変化していく、周りも私自身も求められる目標も、さきの何年かはキャリアにおける黄金時代だった、それを実現することができたのは恵みだったが、私のやり方が自己犠牲が過ぎたのだろうその時点で無茶だとわかっていた。

求められている課題は現状でも心身が持つのだろうかと不安は大きい。転職を具体的に進めていくべきなんだろう、採用されると良いな。