食事の転換
玄米炊飯を始めた。
羽釜も買った。
24時間浸水させ、炊き上がったお米は美味しい。
毎日、デスクワーク主体の仕事から戻ると二時間は横たわる。
日中仕事するのは自分には無理だと、十代の頃あきらめていた。
数年前カイロプラクティックへ行ったら、これ(この体)で仕事しているのですか、頑張ったんですねと言われた。
食事で改善したい。
自家製パン用のパン焼機を処分した。
パン食をやめ、夜と朝、玄米とお味噌汁を主体に、海産物その他を加えた食事に変更する。
お昼は自由に。
夜炊いた玄米を朝でもおいしく食べられるように、曲げわっぱのお弁当箱が欲しい。
真夏でも24時間、中の御飯が傷まないらしい。
物をへらすと、残ったものの存在感が増す。
最後に残るのは自分の体だ。
長生きとかではなく、よい状態で日々を過ごしたい。
部屋が片付いているように、自分の体を整えておきたい。
生きていくために感謝する
あれは7年ほど前だったか、いつもの10分前後の時間の間、主治医にこぼれるように語った事をついさっき思い出した。
憎しみでも悲しみでもなく、感謝することでしか私は救われません。
自分が授かったこの生を感謝しています。
さらに数年を遡った頃、ナチスの強制収容所に入れられていたフランクルの著書、『夜と霧』を読んだ。
あるユダヤ人女性の言葉を、フランクルが文中引用した事を、少し思い出した。
主治医に語った後、4年後タイで手術を受けた。
タイにはネット環境やPCは持たず、ベッドの上で読んだ唯一の本は、持参したフランクルの著書、『それでも人生にイエスという』だった。
強制収容所にいたユダヤ人たちがつくり、合唱していた歌の歌詞を書名にしたものだと、読み進んで知った。
それでも人生にイエスという。
救済の扉はいつでも開く。
中和する光が天から射し、世界は白銀のように輝き、圧倒的な恵みに泣き崩れる。
同時にそれはたとえようもない悲しみと一つである。
私は自分の運命に感謝していると。
原稿 整理 安堵
このところ原稿を書く業務が多い。
何万字書いてるだろう。
分野パネル原稿、解説トーク用、作品個別解説用原稿。
パリ関連作家の原稿、講演会の原稿・・・。
それとは別に、ようやく、去年暮れに放送された、ワーグナー・オペラのライブ録音放送の整理にとりかかった。
「ニーベルングの指輪」、四日分の夜を使って上演されるこの大作を、よく作曲したものだ。
ワーグナーのオペラには他にはない深い深い翳りがあり、時折、閃光が闇を切り裂く。
昼の光ではなく、夕暮れでも朝でも、月夜でもない。
狭く限られた世界のほんの一部を照らすのだが、暗闇に慣れた目には眩しい。
他のどの作曲家の作品にも、この翳りと閃光は見い出せない。
女としての日常、特に意識することなく過ごせている。
この、どうということなさを、切望していた。
世を去るその時まで、嬉しいままの気持ちが続きそう。
嬉しい。