心にそよぐ風

おしゃれで魅力的な人になります!

年末 バイロイト

今、FM放送で今年のバイロイト音楽祭の録音放送をしている。

もうそんな時期か、いよいよ年末かと。

昨年と二年続きで『ニーベルングの指輪』が上演された。

昨年は、指揮者の意志が楽曲世界を照らし切り開いていくような、素晴らしい演奏だった。

 

今年は静かな暮らしの中にも、彩り豊かだった。

2月に共同生活を、4月に引越して5月に改名。

6月に性別変更し、7月にパリ調査。

12月には玄米食を開始し、講演を行った。

 

良い一年だった。

名と性別変更とパリ調査は、今も嬉しい。

来年は日々の生活を、食、衣服、住居を、清潔にシンプルに充実させていきたい。

 

食事の転換

玄米炊飯を始めた。

羽釜も買った。

24時間浸水させ、炊き上がったお米は美味しい。

 

毎日、デスクワーク主体の仕事から戻ると二時間は横たわる。

日中仕事するのは自分には無理だと、十代の頃あきらめていた。

数年前カイロプラクティックへ行ったら、これ(この体)で仕事しているのですか、頑張ったんですねと言われた。

食事で改善したい。

 

自家製パン用のパン焼機を処分した。

パン食をやめ、夜と朝、玄米とお味噌汁を主体に、海産物その他を加えた食事に変更する。

お昼は自由に。

 

夜炊いた玄米を朝でもおいしく食べられるように、曲げわっぱのお弁当箱が欲しい。

真夏でも24時間、中の御飯が傷まないらしい。

 

物をへらすと、残ったものの存在感が増す。

最後に残るのは自分の体だ。

長生きとかではなく、よい状態で日々を過ごしたい。

部屋が片付いているように、自分の体を整えておきたい。

生きていくために感謝する

あれは7年ほど前だったか、いつもの10分前後の時間の間、主治医にこぼれるように語った事をついさっき思い出した。

 

憎しみでも悲しみでもなく、感謝することでしか私は救われません。

自分が授かったこの生を感謝しています。

 

さらに数年を遡った頃、ナチス強制収容所に入れられていたフランクルの著書、『夜と霧』を読んだ。

あるユダヤ人女性の言葉を、フランクルが文中引用した事を、少し思い出した。

 

主治医に語った後、4年後タイで手術を受けた。

タイにはネット環境やPCは持たず、ベッドの上で読んだ唯一の本は、持参したフランクルの著書、『それでも人生にイエスという』だった。

強制収容所にいたユダヤ人たちがつくり、合唱していた歌の歌詞を書名にしたものだと、読み進んで知った。

それでも人生にイエスという。

 

救済の扉はいつでも開く。

中和する光が天から射し、世界は白銀のように輝き、圧倒的な恵みに泣き崩れる。

同時にそれはたとえようもない悲しみと一つである。

 

ユダヤ人女性は確かフランクルにこう語った。

私は自分の運命に感謝していると。

原稿 整理 安堵

このところ原稿を書く業務が多い。

何万字書いてるだろう。

分野パネル原稿、解説トーク用、作品個別解説用原稿。

パリ関連作家の原稿、講演会の原稿・・・。

 

それとは別に、ようやく、去年暮れに放送された、ワーグナー・オペラのライブ録音放送の整理にとりかかった。

ニーベルングの指輪」、四日分の夜を使って上演されるこの大作を、よく作曲したものだ。

ワーグナーのオペラには他にはない深い深い翳りがあり、時折、閃光が闇を切り裂く。

昼の光ではなく、夕暮れでも朝でも、月夜でもない。

狭く限られた世界のほんの一部を照らすのだが、暗闇に慣れた目には眩しい。

他のどの作曲家の作品にも、この翳りと閃光は見い出せない。

 

女としての日常、特に意識することなく過ごせている。

この、どうということなさを、切望していた。

世を去るその時まで、嬉しいままの気持ちが続きそう。

嬉しい。