3年
今月下旬でSRSを終え丸3年になる。あれから3年・・・。
全身麻酔直前の心持ちを思い出す事が多い。目が覚めなければ終わっていたとか、ケイト・ブッシュの「ライオン・ハート」が脳内で流れていた事とか、おしゃべりしながら陽気に準備する、5、6人の、まだ十代半ばから後半の、看護士の少女たちとか。
8日間ほど水が飲めず、退院したらおいしい水を生活に、水には贅沢するんだとか考えてたっけ。
マリア・カラスと、ラジオ深夜便の対談をよく聞いていた。宮本亜門の話が印象に残った。タイで交通事故にあったという彼の話などを、タイの病院のベッドで聞いた。
外気は30度後半だったが、さほど暑く感じなかった。
この手術を境に、自分の心とこの体を大切にしようと、自然にそう思えるようになった、よく頑張ったねとか。
それが嬉しい。
とてもとても嬉しい。
幸せな3年だった。
これからもいっそう幸せになる。
休日
終日、デューク・エリントンのコットン・クラブでの演奏と、1956年のニューポート・ジャズ・フェスティバルのライブ録音を流した。古いジャズは聴きやすい。
文字を書き連ねたノートの画像を見るのが好きだ。
なんだか落ち着く。
羽釜とヒノキの釜蓋による直火炊飯に慣れた。
玄米+大麦を主食にするようになり、体調が改善され、生きていく心持も変化してきたように思う。
あらゆる場にバランス、調和があって、それを大切にしたいとか。
春が来て雨が降り、陽射しに目がくらむ。
乾燥した風のあと、冷気に囲まれる。
その静寂が底に落ちると、春の光が天からそそぐ。
明るい色の服、買いに行こうか。
冬が底を打ち、春の光が届く。壁に浮かぶ樹木の影に、再生の力を見い出す。
先月中旬より、予想されていた忙しさに突入し、今週になりようやく休みがとれた。
間もなく三ヶ月になる、朝晩の、玄米+大麦+お味噌汁という食生活の成果で別人のように活動できた、同僚からも違う人のようだと言われた。
久しぶりの休暇は買い物にも行かず、テー・ルームにも寄らず、音楽をきいて過ごした。
三月中旬より、また半月ばかり忙しくなる。
一年の内で今の時期は好きだ。
間もなく始まる、まだ何も失っていないという気持ちでいられるから。
回転する惑星に暮らす
作業で終日、広い場所を動き回る日が三日続いた。
小麦粉断ちの効果だろうか、同僚からは別の人が入ってると言われる程、よく動き働いた。
作業のきつさよりも、体が動く状態が嬉しかった。
投資の本を読んだ。
ネットでは共感できる情報が得られそうになく、大型書店で書籍を選んだ。
煽ったり、せかしたりせずに、落ち着いた文章で要点をまとめているものを探した。
毎月一冊でもしっかり選び読んでいれば、半年後、今とは違っているはずだ。
不安の多くが経済的なものなのは十分理解していたが、何をどうしていけばいいのか見当が付かず、心身の不調に引きずられるように時をやり過ごしてきた。
他に、ベンジャミン・フランクリンの本を読み返した。
自由について考えた、自由とは何だろう、欲しいのは何の自由だろう、経済的自由。
この十年間、心はトランスで一杯だった。
容姿、着こなし、身のこなし、治療・・・。
ずっと怯えて生きてきた。
これからは幸福の後には幸福が、その後により大きな幸福が訪れると確信して暮らしていく。