あきらめないで少しずつ
治療を始めて、寿命が縮まるからと、将来への展望を積極的に持たずにいた。
目標はトランスを完了することで、昨年実現した。
暮れから食事療法を開始して、その一環で小麦粉を断ち、従来よりずっと体の調子が良くなった。粘りがついてきた。
それで諦めないで、少しずつでも積極的に人生に関わって行こうと今年決めた。
経済的な問題を改善する。
音楽、美術、文学、写真、映画などは、随分前に、もう十分過ぎる充実を得ており、それを繰り返すように年を重ねていた。
経済の勉強をして、言葉と仕組みを理解し、経済的自由を獲得する。
あきらめないで、少しずつ、学んでいく。
食事の転換
玄米炊飯を始めた。
羽釜も買った。
24時間浸水させ、炊き上がったお米は美味しい。
毎日、デスクワーク主体の仕事から戻ると二時間は横たわる。
日中仕事するのは自分には無理だと、十代の頃あきらめていた。
数年前カイロプラクティックへ行ったら、これ(この体)で仕事しているのですか、頑張ったんですねと言われた。
食事で改善したい。
自家製パン用のパン焼機を処分した。
パン食をやめ、夜と朝、玄米とお味噌汁を主体に、海産物その他を加えた食事に変更する。
お昼は自由に。
夜炊いた玄米を朝でもおいしく食べられるように、曲げわっぱのお弁当箱が欲しい。
真夏でも24時間、中の御飯が傷まないらしい。
物をへらすと、残ったものの存在感が増す。
最後に残るのは自分の体だ。
長生きとかではなく、よい状態で日々を過ごしたい。
部屋が片付いているように、自分の体を整えておきたい。
生きていくために感謝する
あれは7年ほど前だったか、いつもの10分前後の時間の間、主治医にこぼれるように語った事をついさっき思い出した。
憎しみでも悲しみでもなく、感謝することでしか私は救われません。
自分が授かったこの生を感謝しています。
さらに数年を遡った頃、ナチスの強制収容所に入れられていたフランクルの著書、『夜と霧』を読んだ。
あるユダヤ人女性の言葉を、フランクルが文中引用した事を、少し思い出した。
主治医に語った後、4年後タイで手術を受けた。
タイにはネット環境やPCは持たず、ベッドの上で読んだ唯一の本は、持参したフランクルの著書、『それでも人生にイエスという』だった。
強制収容所にいたユダヤ人たちがつくり、合唱していた歌の歌詞を書名にしたものだと、読み進んで知った。
それでも人生にイエスという。
救済の扉はいつでも開く。
中和する光が天から射し、世界は白銀のように輝き、圧倒的な恵みに泣き崩れる。
同時にそれはたとえようもない悲しみと一つである。
私は自分の運命に感謝していると。